
本は、「読む」より「触れる」でもいい
「本を読む」と聞くと、全部理解しなきゃいけない、内容を頭に入れなきゃいけない、と思っていませんか?
特に近代文学なんて、古い言葉や知らない時代背景が出てきて、最後まで読んでも「結局よくわからなかった…」ということも多いはずです。
でも、それでいいんです。
本は、テストのために暗記するためのものじゃありません。
山や川を見て「きれいだな」と思う感覚と同じように、本も“感じる”ものでいい。
たとえば、小説の中にたった一行、ハッとするようなきれいな日本語を見つけたら、それだけで読む価値があります。
一文だけ心に残ったなら、その本はもうあなたの一部になっています。
近代文学には、今の私たちが普段使わない言葉や、想像もつかない風景がたくさん出てきます。
最初から全部を理解しようとすると疲れてしまうけれど、「知らないものに触れる」こと自体がもう意味のある時間です。
ページをめくるたびに、景色を眺めるような気持ちで楽しめばいいんです。
だから、あなたも「読む」というより「触れる」つもりで、本と向き合ってみてください。
意味がわからないままでも、好きな言葉やフレーズを見つけたら、それがあなたと本との出会いです。
それだけで、本はもうあなたに何かを届けています。
本を読むのは筋トレと同じ
本を読むのは、筋トレとよく似ています。
初めてダンベルを持ったとき、重くて持ち上がらないのは当たり前ですよね。
それと同じで、本も最初はなかなか読めなくて当然なんです。
特に、文学ポップで扱うような近代文学は、いきなり初心者が挑戦するにはハードルが高めです。
難しい言葉、昔の生活や文化の描写、長い文章…これらは、読み慣れていない人にとっては「重いダンベル」みたいなもの。
だから、最初に原作を読んで「全然理解できない…」と思っても、落ち込む必要はまったくありません。
むしろ、それが普通です。
もし近代文学が難しすぎると感じたら、本屋に行ってみてください。
店員さんがおすすめしている人気の小説や、平積みになっている話題作を手に取って、少し中を読んでみる。
「これなら何とか読めそうかも」と思えたら、それが今のあなたにとってちょうどいい一冊です。小説がきつそうと思ったのであれば、短編が多く入った本や、詩の本でも良いかもしれません。
ここで大切なのは、決して「理解できない自分を責めない」こと。
読書習慣が少ない現代では、最初からスラスラ読める人のほうが珍しいんです。
少しずつ読み続ければ、必ず読む力はついていきます。
だから、最初は軽いダンベルから始めるように、自分に合った本から読めばいい。
それが、読書を長く続けるためのコツです。

読書は「究極の暇つぶし」
人生を「暇つぶし」と捉えると、究極的には誰もが避けられない終わり(死)を前提にして、日々の行為のほとんどが“何かを埋めるための時間”に見えますね。
その中で読書は、単なる時間消費ではなく、「暇をどう味わうか」という質を高める行為だと言えます。
例えば、同じ1時間の暇でも、
- ただスマホを眺めて流れる情報を消費する
- 本を読み、物語や思想の世界に没入する
この2つでは、心に残る密度が全く違います。読書は、その暇に意味や深みを与える「時間の質の変換装置」みたいなものです。
だから「読書=暇つぶし=人生そのもの」であり、
- 人生は限られた時間の積み重ね
- 読書はその時間を豊かにする行為
という意味で、とても筋が通っていると思います。
むしろ、読書は“暇つぶし”でありながら、“暇の価値を最大化する行為”とも言えるでしょう。
読書で得られるもの
「本なんて読まなくても、ネットや動画で情報は手に入るじゃない?」
そう思う人も多いかもしれません。確かに、スマホを開けば世界中の情報がすぐ届く時代です。
でも、読書にはネットや動画では得られない価値があります。
1. 他人の人生を生きられる
小説を読むと、自分では経験できない人生を追体験できます。登場人物の感情や葛藤に入り込み、世界の見え方が少し変わります。これは現実の人間関係や判断力にもつながります。
2. 言葉と思考の力がつく
本は文章だけで世界を描くため、言葉の使い方や考え方の組み立てを自然と学べます。自分の意見をはっきり伝える力も磨かれます。
3. 集中と内省の時間になる
現代は情報が細切れで流れていく時代です。本を読む時間は、ひとつの物語やテーマにじっくり向き合う貴重な機会です。これが思考の深さをつくります。
本を読むことは、単なる知識のためではありません。
それは「時間をどう生きるか」を選ぶ行為であり、人生を豊かにするひとつの方法なのです。
